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【Dolly Luster】 Chapter:2 ラスター子爵 《1》 [小説 : Dolly Luster]




■ 普段の世界観とは違う、ファンタジー風の世界が舞台の長編連載物です。
登場キャラはいつものDollyShadow組ですが、普段の設定とは異なるパラレル設定になっています。
軽いBL要素を含みますのでご注意下さい。

前回 → 「Chapter:1 宵闇の島の魔法使い《3》」
初回 → 「Chapter:1 宵闇の島の魔法使い《1》」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……さま…… 千紗様……」
 聞き慣れた声が、静かに呼ぶ。
 千紗は小さく呻きを上げ、寝返りを打った。
 白い羽根枕の上に、長いブロンドの髪がふわりと零れる。天蓋の隙間から差し込む陽射しの中、それはまるで光の糸のように淡い輝きを放っていた。
 天蓋を開いた青年執事は、その光景に目を細める。
 そして、子供を起こすような口調で囁いた。
「おはようございます、千紗様。朝でございますよ。どうぞお目覚めを」
「……ん…… ああ、うん…… 起きている……」
 羽布団の中で、千紗はもぞもぞと身じろぎをした。
 執事は主人の言葉を信じたのか、それ以上の言葉をかけずに、ただ天蓋の外に控えている。
 その、ささやかなる無言の圧力。
 観念して、千紗はベッドから身を起こした。乱れた金色の髪を、くしゃりと手で掻き上げる。
「ああ…… 起きたぞ、真田。おはよう……」
「おはようございます、千紗様」
 まだとろんとした目付きの千紗に、青年執事は丁重に礼をした。
 千紗の執事、真田。
 漆黒の髪をオールバックに整え、紳士の服装をした、ゲッコウヤグラの青年。その種族独特の雰囲気と、見るからに怜悧な容貌は、一見すると冷血人形のようにも見えた。
 だが、片眼鏡の奥にある緑色の目は、優しいぬくもりを帯びている。
 千紗も、それをよくわかっていた。
「さぁ、千紗様。どうぞお顔を」
 真田はボウルに水差しのぬるま湯を注ぎ、千紗が顔を洗うのを手伝ってくれた。
 そして、タオルを千紗に差し出し、窓の方にちらと目を向ける。
「今日はとても良い天気ですよ、千紗様。お出かけ日和と言えるのではないかと」
「そうか。それは何よりだ」
 ふわふわのタオルに顔を埋め、千紗も横目に窓の方を見た。
 真田の言う通り、カーテンの向こうに覗く空は、抜けるように青い。こんな日に馬車で出かけるのは、確かに愉快なことかもしれない。
 だけど。
 空のあまりの青さに、千紗は思わずぼやく。
「出かけるのが、ヤツのところじゃなかったら…… さぞかし、楽しかっただろうがな」
「……………」
 真田の顔から、一瞬笑みが消える。
 だが、執事が言葉を紡ごうとするよりも前に、千紗はタオルを彼へ突き返した。
 その表情は、余裕たっぷりの笑顔。
 ラスター子爵家当主としての、いつも通りの千紗の表情。
「ありがとう、真田。やっと目が覚めた」
 暖かなガウンをふわりと身に纏い、千紗はベッドから下りた。
 窓辺に立てば、眩しい朝の陽射しが千紗の身に降り注ぐ。空には白い雲が綿菓子のように漂い、その間を鳥たちが渡っていくのが見える。
 千紗は、そっと目を細めた。
「真田」
「はい、千紗様」
「今朝は、良い夢を見たぞ。お前に起こされるのが惜しかったくらいな」
「おや…… それはそれは、大変失礼を」
 子供のような物言いをする主人に、執事はくすっと口元を綻ばせた。
 真田は、千紗よりも二つ年上。
 子供の頃から千紗の執事になるべくラスター家に仕えていた真田は、千紗という主人のことを、家の中で誰よりもよく理解していた。
 だからこそ千紗も、真田には遠慮無く本音を洩らす。
 真田ならば、安心出来る。
 親族さえも信用ならない貴族社会で、真田という忠実な執事がいてくれることは、千紗にとって心底心強いことだった。
 そんな腹心の部下に、千紗は命ずる。
「真田、朝食を頼む。今日は下で食べよう。茶よりもコーヒーがいいな」
「かしこまりました」
 主人へ丁重に頭を下げ、真田は洗練された所作で寝室を出て行った。
 扉の向こうへ消えていくその姿を、千紗は黙って見送る。
「…………」
 静かに閉ざされる扉。
 千紗は、僅かに顔を曇らせた。
 だが、髪を振り払うように首を振ると、暖炉の方へと歩み寄っていく。
 レンガ造りの暖炉の上には、写真立てがあった。
 小さな額の中で、穏やかに微笑んでいるのは…… 縁無しの眼鏡をかけた、優しげな表情の青年。
 大人だった頃の、バンリ。
「…………」
 写真立てを手に取り、千紗はその微笑みをじっと見つめた。
 モノクロの写真に、色はない。だけど、少し目を閉じれば、記憶の中から色彩が溢れ出してきた。
 あの、宵闇の色をした髪。
 自分を見つめる、焦げ茶色の瞳。自分の名を紡ぐ、薔薇色の唇。
 それは、今と全く変わらない色彩。
 だけど、とても、とても…… 懐かしい、面影。
「……バンリ」
 額縁を、取り上げる。
 そして、写真の中の青年に、千紗はそっと口付けた。
「おはよう。バンリ」
 唇に伝わるのは、アクリル板の冷たさだけ。
 それでも、千紗は少しだけ満たされた顔になって、暖炉の側を離れた。
 クローゼットから自分で衣装を取り出し、寝間着から着替える。
 自分の身の回りのことを、千紗は出来る限り自分自身でやるようにしていた。
 かつては、余るほどの使用人がいた、このラスター子爵家屋敷。
 だが今は、無駄な人手は置かず、必要最低限の優秀な使用人を置くに留めている。
 ラスター子爵家の財政は、芳しくない。
 先代が傾かせてしまった子爵家と、領民や騎士達が暮す子爵領を、何とか元のように復興させること。
 それが、当主の座を継いだ千紗の使命だった。
 解雇しなければならない使用人達は、当主の千紗が自ら紹介状を書き、良い働き口を見つけて送り出した。
 長年仕えてくれた使用人を解雇するのは、とても辛いことだったけれど。
 送り出した使用人達はみな、千紗に感謝し、名残惜しそうに去って行った。
 あの後ろ姿を、忘れてはいけない。
 そして、いつかまた…… この子爵家に、呼び戻してやりたい。
 千紗は、そう誓う。
「失礼致します、千紗様。朝食の支度が調いました」
 静かなノックと共に、扉の向こうから真田の声が聞こえる。
 キュッとネクタイを結び、千紗は顔を上げた。
 鏡の中には、若きラスター子爵の姿が映っている。力の宿る青い瞳と、自信に満ちた微笑み。長い金色の髪は、子爵家の行く末を照らす希望の光。
 千紗は踵を返し、扉の方へ向かった。
 その足音に応えるように、外から扉が開かれる。
「ありがとう、真田」
 忠実な執事を労い、千紗は寝室を出た。
 ここを一歩でも出れば、千紗にはラスター子爵としての姿しか許されない。
 『千紗』という幼名は、ここに置いていく。
 忠実なる執事の手によって、寝室の扉は、静かに閉ざされた。
「それでは…… お館様」
「ああ」
 真田を従え、千紗は回り階段を下りていく。
 すれ違う使用人は少ない。だが、誰もが手と足を止め、ラスター子爵家当主への最敬礼をしてくれた。
 それにひとつひとつ挨拶を返しながら、千紗はダイニングホールへと向かう。
 大きな扉の前に真田が立ち、千紗の為に扉を開いてくれた。
「どうぞ、お館様」
「ああ」
 ダイニングは、明るい光に満ちていた。
 天井から降るシャンデリアの灯りと、窓から差し込む朝の陽射し。厨房から流れてくる美味しそうな香りが、早くも胃を刺激する。
 だがふと、千紗はそこで足を止めた。
「うん?」
 自分以外誰もいないことの多い、大きなテーブル。
 だが今朝は、ひとり、先に席に着く者がいた。
 千紗が座る正面の席から見て、右手の列の一番前。
 序列で言うならば二番目の席に、千紗と同じ色の髪をした少年が、酷く退屈そうに座っている。
「……アヤセ」
 少し意外に思いながら、千紗は弟を呼んだ。
 すると、アヤセは崩した居ずまいを一応は直しつつ、ジロリと兄を睨む。
「ねぼすけ、チサ兄。ったく、待ちくたびれたぜ?」
 どこか幼い口調で、アヤセは吐き捨てた。
 テーブルには、未だ配膳は始まっていない。当主である千紗が席に着くまで、朝食は始まらないのだ。
 クロメの耳をくったりさせ、恨めしげに千紗を睨む弟の姿は、まるでお預けを食らった子猫のようにも見える。
 思わずくすっと笑みを洩らして、千紗は自分の席に腰を下ろした。
「随分待たせたようだな、アヤセ。すまなかった」
「ああ、もう腹ペコだよ。先に食わしてくれって言っても、ちっとも聞いてくれやしねーし。いっそ、オレが叩き起こしに行こうかと思ったくらいだぜ」
「フフッ、遠慮せずに来れば良かっただろう。そうしたら、抱き枕にしてやったのに」
「ふん、ゴメンだね。そういうのは、バンリに任せるぜ」
 憎まれ口を叩く弟と、それをからかう兄。
 どこにでもあるような、兄弟の姿。
 だが、千紗とアヤセの兄弟にとって、こんな時間はとても珍しく、そしてとても貴重なものだった。
 アヤセは、神に仕える身。
 その胸元を飾るロザリオが、アヤセが既に世俗を離れていることを表している。だから、正確に言えば、もう千紗の弟ではないのかもしれない。
 それでも、アヤセが自分の弟なのは間違いないこと。
 そして、ラスター子爵家の次男坊であることも。
 先代の当主であった亡き父は、千紗とアヤセの間で家督争いが起こることを怖れ、弟のアヤセを強制的に修道院へ入れてしまった。
 まだ十歳だったアヤセは、きっとショックだっただろう。無理もない。実の親から、『お前は要らない』と言われたようなものなのだから。
 教会での修行を一通り終えたアヤセが、家に戻って来られるようになったのは、二年前のこと。
 六年ぶりに千紗の前に立ったアヤセは、花のように麗しい美少年に成長していた。
 だが、千紗を睨むその目に宿っていたのは、明らかな不信感。
 以前は素直な良い子だった弟は、いつの間にか、斜に構えたような態度を取るようになっていた。
 口を開けば、飛び出すのは憎まれ口ばかり。
 家にいることを居心地悪く思ったのか、一時期は、教会に閉じこもったままさっぱり顔を見せなくなったことさえあった。
 そんなアヤセが、僅かに態度を緩めるようになったのは、割と最近のことだ。
 魔法の修行をすると言って、バンリの元へ通うようになってから。
 千紗がバンリの島へ行くと、たまにアヤセに出会う。バンリは千紗とアヤセを兄弟として扱うし、アヤセも、バンリがいる手前それほど千紗にツンケン出来ない。
 そうやってバンリの島で顔を合わせる内に、兄弟が交わす言葉も、少しずつ増えて来た。
 だけど、それはバンリの島にいる時のこと。
 子爵家の屋敷では、相変わらずアヤセは家にいることを嫌がり、千紗と言葉を交わすことも少ない。
 だから。
 今朝のように兄弟が揃って朝食のテーブルに着き、兄弟らしい会話をするのは、とても珍しいことだった。
「失礼致します、お館様」
「ああ」
 真田が注いでくれるコーヒーの湯気越しに、千紗は弟の顔を見る。
 窓から降り注ぐ陽射しの中、大人しく席に着くアヤセの姿は、今にも光に溶け込みそうだった。
 リボンを結んだ金色の髪は、さらさらと音がしそうな程柔らかい。未だ眠たそうな青い目も、あどけなさが残る顔立ちも、まるで少女のような愛らしさだ。
 千紗の眼差しに気付いたのか、その目がふっと千紗を見た。
「あーもう、腹減ったぜ。チサ兄、食っていい?」
 澄んだ声が、何とも行儀の悪いことを言う。
 咎めようかとも一瞬思ったが、千紗は黙ってそれを飲み込むと、そっと頬を緩めた。
「そうだな、いただこう。お祈りは済ませたのか?」
「とっくに。オレを誰だと思ってるんだ?」
 フフンと、アヤセは何故か得意気に胸を張る。
 そして、真田にコーヒーを注いでもらうと、待ちかねたようにカップを取り上げた。
「じゃ、いただきます」
「ああ」
 千紗は軽く手を組み、形だけ食前の祈りを捧げる。
 その間に、アヤセはさっそくフォークとナイフを取り上げ、並べられた朝食をつつきはじめていた。
 食卓に並ぶメニューは、貴族の家としては質素なもの。
 だけど、トースト立てには焼きたてのトーストが並び、カリカリのベーコンエッグと焼きトマトに、ケセランパサランのトライフル。コーヒーはラスター子爵家伝統のブレンドで、眠っていた頭と身体を目覚めさせる良い香りを立ち上らせていた。
 素朴ながら、伝統ある子爵家に相応しい朝食だ。
 家のことをよく思っていないアヤセも、食事だけはお気に召したのだろう。クロメの耳をぴくぴくさせながら、美味しそうにトーストにかじりついている。
 ふっと口元を綻ばせて、千紗もコーヒーを手に取った。
「美味いか? アヤセ」
「ん、美味いぜ。やっぱ、教会のメシよりずっと美味いな」
「……そうか」
 それなら、もっと家に帰ってくればいい。
 喉まで込み上げて来たその言葉を、千紗はコーヒーの香りと共に飲み込む。
 そんなことを言う資格はない。
 アヤセが家に居づらい環境を作ってしまったのは、自分なのだ。
 トーストにバターを塗り、千紗も気取らずにそれを囓る。
 穏やかな、朝だった。
 今日という日が嵐になることは、わかっている。
 だからこそ、この陽だまりのような朝のひとときが、千紗にはひどく大切なものに思えた。
 アヤセにとってはどうなのか、わからないけれど。
「最近…… よくバンリの所に行ってくれてるそうだな、アヤセ」
「ああ、行ってるぜ」
 二枚目のトーストを取り上げ、アヤセはそれにたっぷりとミツアリの蜜を垂らした。
「バンリの奴、あんな小さくなっちまったしさ。ちょくちょく様子見てやらねーと、危なっかしいだろ?」
「そうだな。お前が様子を見に行ってくれれば、俺も安心だ。バンリも心強いだろう」
「…………」
 一瞬、アヤセの動きが止まる。
 まるで勢いを削がれたかのように、少年はどこか怖ず怖ずとトーストを噛んだ。
 そして、ちらと千紗を見る。
「チサ兄は、見に行かねーのかよ。バンリの様子」
「うん?」
 ベーコンエッグを切ろうとした手を、千紗は途中で止めた。
 弟を見れば、彼は小鳥が啄むようにトーストを囓っている。まるで、間をつなごうとするかのように。
 さっきまでの食欲は、どこへ行ったのか。
 おや? と思いながらも、千紗はまた静かにナイフとフォークを動かしはじめた。
「もちろん、俺も行くさ。出来ることなら、今すぐでもな」
「……………」
「だが、さすがにそうもいかないだろう? 俺にはやらなければいけないことがあるし、バンリだってわかっている。心配ない」
 千紗は、ベーコンエッグを上品に口へすくい入れる。
 そんな兄を、アヤセは無言で見ていた。
 トーストの端から蟻蜜がこぼれ、その白い指をとろりと伝い落ちていく。
「……バンリ、心配してたぜ」
 ぼそりと、アヤセは口を開いた。
 蟻蜜の付いた指を、少年は子供のような仕草で舐める。どこか上の空な様子で。
「チサ兄が来る度に、チサ兄、いつも疲れてるみたいだって。……身体を壊さないといいけど、って」
「……………」
 バンリの名を聞いて、真っ先に頭を過ぎるのは、優しげな微笑みを浮かべる『青年』の姿。
 だが、すぐにそれは、可愛らしい子供の姿に書き換えられていく。
 千紗は、ナイフとフォークを置いた。
 代わりに、良い香りを立ち上らせるコーヒーカップを取り上げる。
「そうだな」
 そっと目を伏せ、千紗はカップに唇を寄せた。
「確かに…… バンリの島には、疲れている時ばかり行ってしまうかもしれない。あそこは、とても落ち着くからな」
「……………」
「それで、バンリに心配をかけているなら…… 悪いことをしていると、思ってはいるが……」
 白薔薇に覆われた、バンリの島。
 そこはいつも、穏やかな宵闇に包まれていて、白薔薇の良い香りがして。疲れた心と身体に、あの島の空気はとても優しい。
 そして、千紗さん千紗さんと、自分に駆け寄って来る…… 可愛い、可愛い、愛玩狐。
 どんなに疲れ切っても、そこには安らぎがある。
 そのことが、自分にとってどれほどの力に、どれほどの支えになっていることか。
 それを言ったところで、アヤセにはわからないだろう。
 だから、千紗はそれ以上何も言わず、ただ立ち上るコーヒーの香りを楽しむ。
「……………」
 アヤセも、もう何も言わなかった。
 蟻蜜の付いた指をぺろぺろ舐め、また甘いトーストにかじりつく弟。行儀悪いと叱るのは忍びない、愛らしい仕草だった。
 大きな窓の外を、鳥たちが過ぎっていく。
 陽射しの降り注ぐダイニングで、朝食を共にする兄弟。そんな、誰の目にも微笑ましい光景。
 千紗は、ただ静かにコーヒーを啜っていた。
 アヤセも、年頃の少年らしい食欲に任せて、蟻蜜トーストをかじっていた。
 そして、アヤセが三枚目のトーストに手を出そうとした時。
 コンコンと、扉がノックされる音がした。
「うん? 真田」
「は……」
 部屋の隅に控えていた真田を、扉の方へ遣る。
 一度外に出た真田は、しばらくして戻って来た。優雅な仕草で一礼し、千紗の側へと歩み寄る。
「失礼致します、お館様。馬車の支度が整いました。お館様のご命がありましたら、いつでも」
「……そうか。ご苦労」
 軽く頷いて、千紗は執事達を労う。
 それに丁重な礼を返し、真田はまた部屋の隅に控えた。執事の気配は、また感じられなくなる。
 それと同時に、アヤセが顔を上げた。
「馬車? チサ兄、今日どっか出かけるのか?」
「…………」
 千紗の手で、食器が音を立てる。
 それは、何気ない問い掛け。何も知らない弟からすれば、抱いて当然の疑問だ。だが……
 ――――お前には、関係ない。
 喉まで出かけたその言葉を、千紗は、何とか奥へ飲み下す。
「ああ。出かける予定だ」
 何事もないかのように、千紗は応えた。
 二枚目のトーストに手を伸ばし、アヤセと同じように蟻蜜を少しだけ垂らす。
「ふぅん。どこへ?」
「……チャコール伯爵殿のお屋敷へ、ちょっとな」
「え?」
 今度は、アヤセがカップを鳴らした。
 あどけなさの残る顔が、たちまち不安げに顰められていく。アヤセは、途端に声のトーンを落とした。
「チャコール伯爵って…… あの、冷血非道って噂の」
「こら。そんなことを言うんじゃない」
 千紗は、即座にたしなめる。
 一瞬ぴくりと肩を揺らして、アヤセは口を噤んだ。
「……………」
「アヤセ。チャコール伯爵家と、このラスター子爵家は、白薔薇姫の時代からのお付き合いなんだぞ」
「……知ってるよ」
「今のチャコール伯爵は、若くして当主の座を継ぎ、先代が傾かせた家を見事に復興された方だ。……同じく家の復興を目指す者として、見習わせていただくような気持ちでなければ」
 千紗を見据える、弟の上目の視線。
 だが、千紗はあえてそれから目を離し、上品にトーストを囓る。
 アヤセは、たちまち頬を膨らませた。
 ぷいっと千紗から顔を背け、行儀悪く足を組んでしまう。
「でもさ、チャコール伯爵なんて、良い噂なんかちっとも聞かないぜ? 家を復興させたのだって、ずいぶん強引なやり方だったらしいしさ。ホントのところは、一体どんなことやってたのか……」
「アヤセ」
 あえて音を立てて、千紗はテーブルに手を置いた。
 ビクッと、アヤセは身を震わせる。
 一瞬千紗を見た、怯えたような眼差し。
 だが、たちまちそれは苛立ちの色に塗り尽くされた。アヤセは、ギリッと歯を噛みしめる。
「な、何だよ。オレはただ、心配してるんじゃねーかよ!」 
 弟は、声を張り上げた。 
「そんな悪名高い伯爵様のとこなんだぜ? チサ兄何しに行くんだって、心配になって当たり前だろ! 何だよ! オレは、心配もしちゃいけねーのかよ!」
「…………」
 堰を切ったように怒鳴り散らす、アヤセ。
 大きな瞳を潤ませ、肩を震わせて、弟は全力で兄に刃向かってくる。兄という存在が、まるで存在を脅かす敵であるかのように。
 ……また、か。
 弟を不憫に思いながら、千紗はため息を付いた。
 これだから、自分たち兄弟は、手を取り合うことが出来ないのだ。
 一見仲が良さそうに見えても、兄弟らしい振る舞いをして見せても、心の底は通じ合わない。すれ違ったまま。
 だけど。それは、自分のせいなのだ。
 兄として不甲斐ない、自分のせい。
 だから、自分には…… いつものように、こうするしかない。
「大丈夫だ、アヤセ」
 そっと目を細めて、千紗は微笑んで見せた。
「なに、ただのご挨拶だよ。新年を迎えたというのに、未だにお会いする機会がなかったからな。今日は日も良いし、丁度良いだろうということになったんだ」
「………っ……」
 ぐっと、アヤセは息を飲む。
 そんな弟に、千紗は優しく囁いた。幼子を宥めるように。 
「お前が気にすることじゃない、アヤセ。心配しないで…… お前はバンリのところにでも行って、魔法を教えてもらってきなさい」
「……………」
 窓からの風に、カーテンがはためく。
 朝の柔らかな陽射しの中で、弟へ微笑みかける兄と、その微笑みを見つめている弟。
 それは一見すれば、微笑ましい兄弟たちの光景。
 陽だまりの中で、アヤセの金色の髪がさらさらと揺れている。
 そして、同じ色をした千紗の髪も。まるで、弟と掛け合いをするかのように。
「………くっ……」
 やがて、弟の呪縛が解ける。
 アヤセはぐっと手を握りしめると、椅子を蹴返して席を立った。
 けたたましい音がして、椅子が床に転がる。
「ア、アンタはっ、いつもいつも……!」
 まるで獣のように、アヤセは呻った。
 ダンッと拳をテーブルに叩き付け、少年は噛み付きそうな目で千紗を睨める。
「アンタは、いつもそうだ! 何でもかんでも、大丈夫だ、心配ない、お前には関係ない……っ! アンタは、チサ兄はいつだってそうなんだ!」
 金色の髪を振り乱し、叫ぶアヤセ。
 倒れた椅子に躓きそうになりながら、アヤセは夢中で千紗から顔を背けた。ナプキンをテーブルに叩き付け、逃げるように扉へ駆けていく。
「チサ兄がそんなだから! だから、バンリは……!」
「……え?」

 バンッ!

 扉が、乱暴に閉ざされる。
 まるで嵐が去って行ったかのように、アヤセはホールから消えた。
「…………」
 千紗は、ただその残像を見送る。
 真田が無言で近付いて来て、アヤセがめちゃくちゃにしたものを直し始めた。
 椅子は起こされ、食器は手早く片付けられる。
 たちまち席は綺麗になり、まるでアヤセなど最初からいなかったかのよう。
 気が付けばただ独り、千紗だけが、大きなテーブルでぽつりと席に着いている。
「……アヤセ……」
 千紗は、呟いた。
 ポットを手にした真田が、新しいカップにコーヒーを淹れてくれた。そして、暖かいミルクをそっと注いでくれる。
「真田……」
「はい。千紗様」
 そっと差し出されるカフェオレ。
 それを、千紗は黙って口に運んだ。優しい味のコーヒーが、カラカラになった舌を包んでくれる。
「アヤセ様くらいの年頃は、そういうものです。時に兄上に反発してみたくなるのも、仕方のないことかと」
「……そう、だな」
 ふぅと息を付き、千紗は瞼を伏せた。
 思うことは、色々あった。
 感じることも。考えることも。
 だけど、それらを全て、千紗は頭の隅の隅の方へと追いやる。あえて考えないようにする。
 何故なら、今はそんな時ではない。
 今日は、兄弟ゲンカにうつつを抜かしているような、平穏な日ではないのだ。
 だから。
 ぐっとコーヒーを飲み干し、千紗はナプキンを置く。
 そして、窓からの陽射しを浴びながら、静かに席を立った。
「今日は…… 何としても、チャコールの奴と話を付けて来なければな。頭を下げてでも…… 土下座をしてでも、だ」
「はい。お館様」
 側で頷いてくれる、忠実なる執事。
 その存在を頼もしく思いながら、千紗は、もう一度だけ扉の方を見た。
 弟は、どうしているだろう。
 部屋にでも駆け込んで、泣いているのだろうか。
 ……すまない、アヤセ。
 お前を不憫に思うし、申し訳なく思う。だが、今はまだ…… お前を、家のことに関わらせたくない。
 教会で清らかに育った、無垢なる弟。
 そんな弟を、こんなドロドロとした家同士のしがらみに、巻き込みたくない。
 いや。巻き込んでは、いけないのだ。
 千紗はそう自分に言い聞かせ、ダイニングホールを出る。
 何事もなかったかのように、いつも通りの余裕たっぷりの微笑みを、その顔に浮かべる。
「真田、出かける支度を」
「かしこまりました、お館様」
 カツッと踵を鳴らし、執事が去って行く。
 そしてラスター子爵邸は、にわかに慌ただしくなっていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
            《2》へ続く
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
■ というわけで、新章に入った連載物の4回目です。
この章は、千紗が中心の話になっています。色々と大変な立場に立たされている子爵様。
弟のアヤセとの仲も、難しいところです。
次回は、また新しいキャラが登場しますが…… 既に名前は出てますね。ええ…… ヤツです……^^;
次回で話がまたぐっと進みますので、どうぞまたお付き合い下さいませ^^
 
 
■ 話変わってヤミショのこと。
すごく素敵だ! と思ったエレガントカーテン、販売が終了する前に忘れずに買っておきましたよ。
月が変わってバンリと海里の部屋をGLLに入れたので、海里のところに設置してみたのですが……



「黄色い金魚を、貴方の慰めに……」


……なんか…… 妙にBLっぽいお部屋が出来たな……(`・ω・´;)
ピンクのウォームのヤミぐるみは、海里の部屋の必須アイテムです。クゼさんの代わりということで。
ま、まぁほら、海里さんが紳士なのはデフォルトですから……
海里は和風趣味なのですが、洋館の主になるのもちょっといいかなって思ってしまいました。
いいですね、エレガントカーテン。いろんなインドア系の島に合わせて活用出来そうです^^


■ そうそう、研究発表会の情報が続々と発表されていますね。
作品エントリーの方も始まって、私もぼちぼちと作り始めています。
昨年同様、歌と動画を作ろうかと^^
音楽を作るのは大変なので、本当にたまにしかやりませんが…… リアイベがいいきっかけになってくれるので、個人的にはありがたいです。
今年もどんな素敵な作品が揃うのか、楽しみですね。
会場の方には今年も足を運びたいと思っていますが、毎年暑さにぐったりしてしまうので、今年は無理をしない方向で……
またポストカード代わりの小冊子を作りたいと思ってますので、よろしければ交換していただけたら嬉しいです^^*







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